跨虹橋 広島市中区
大名庭園の先駆けとして注目される縮景園は、広島浅野藩初代藩主である浅野長晟が、1620(元和6)年から築成したとされますが、1758(宝暦8)年の大火により建物の多くを消失します。その後1783(天明3)年に京都の庭師:清水七郎右衛門による大改修が行われ、跨虹橋は現在の形になったとされています。
跨虹橋は縮景園の濯纓池(たくえいち)に架かる、長さ27.4m×幅2.1mの橋で、花崗岩製です。
1945(昭和20)年に投下された原爆により、縮景園は壊滅的な状態となりましたが跨虹橋は原形を留め、戦前の景観に復元整備され現在に至り、日本百名橋の番外20の橋に選定されています。
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